自己紹介
2024.03.20更新
はじめまして
ブログにお越しいただき、ありがとうございます。
私は50代で、成人した一人息子の母です。
私の子育ては海外(タイ)で始まりました。
出産した1997年はインターネットで情報を集める時代ではなく、住んでいる所もタイのバンコク近郊で日本人も少なく、子育て経験のない私は毎日が手探り状態。友人がくれた育児本一冊を片手にスタートしました。
行き当たりばったりの子育てで、楽しかったことや辛かったこと、後悔などあります。
そんな私の経験が読んだくださった方の参考になればと思います。
生後3か月からバンコクで子育て
私は結婚後1995年から7年間、夫の仕事でタイのバンコク近郊に住んでいました。
妊娠前は1人でバスに乗って語学学校に通ったり、買い物や観光にでかけて海外生活を楽しんでいました。
1997年に妊娠。
バンコクでの妊娠期間中は、病院の検査は赤ちゃんの心音を聴くくらい。母親学級もなく、のんびりと過ごしました。
妊娠8ヶ月の時に一時帰国し、出産。生後3ヶ月でバンコクに戻りました。
育児ノイローゼで適応障害になる
当時(1998年)はインターネットも普及していません。友人も少ない中、出産祝いでもらった育児本1冊を手に手探りの子育てがスタートしました。
夫の帰りは遅く、朝から晩まで赤ちゃんと二人きり。
話し相手もなく、赤ちゃんのお世話の時に声をかけるだけ。
子どもはかわいかったし、お世話も嫌ではなかったけれど、会話のない日々と慣れない育児でストレスがたまってしまいました。
微熱が続いて体がだるい。
起きるとめまいがする。
こんな状態が数週間続きました。
心配した夫が家政婦さんを頼んでくれました。
家政婦さんが来て生活に変化がうまれ、少しずつ体調も良くなりました。
育児グループを作って友人ができた
暮らしていくうちに同年代の子どもがいる日本人の友人ができ、お互いの家を行き来するようになりました。子どもと2人きりの生活から親子で友人と過ごす時間も増えてすっかり元気になりました。
バンコクは年中暑いので、公園で遊ぶことはありません。
遊び場は仲良くなった人たちの家。週1で順番に家に親子で集まりました。
インターナショナルスクールに通う
息子は2歳から近所のインターナショナルスクールに通いました。
最初の1年は週に2回、親も参加。
会話はすべて英語で、歌を歌ったり、ゲームやお絵かきしたりして2時間ほど過ごします。
親同士の交流はありませんが、英語がわからない私には恐怖の時間。
人見知りの息子も最初は私にべったりでしたが、回数を重ねるうちに友人と遊ぶようになりました。
翌年から親は送り迎えだけになりましたが、親参加の行事や先生との面談もあり、英語は流れを理解するのがやっとで、発言することもなく友人もできませんでした。
息子にとっては英語、日本語、タイ語の区別をどうしていたのかわかりませんが、コミュニケーションはとれていました。
息子は動物の鳴き声をまねるのが上手だったのですが、中学英語のリスニングの成績もよかったです。聞き分ける能力が発達したようです。
英語学習は小さい時から始めるのが良いというのは本当だと、息子を見ていて実感しました。
日本に帰国
息子は帰国して幼稚園の年中の途中から通い、小・中・高と公立の学校に通いました。
私は日本の幼稚園では日本語で会話できるうれしさから、つい保護者の委員を引き受けてしまい、その後小学校、中学校でPTA役員に勧誘されました。
PTA活動はやっぱり大変
幼稚園の時ママ友に誘われて幼稚園の役員を引き受けたら、小学校に入ってからPTA役員を頼まれてしまいました。
PTA活動は避けて通れないと引き受けたら、計3年間PTA活動に関わることになりました。
中学に入っても小学校の時のつながりで依頼され、委員長を2年務めました。
この人は引き受けてくれる人と認識されたようです。
PTAの在り方は以前から問題になっています。学校や地域によってPTAや子供会の運営方針が違うと思いますが、早い段階で責任ある部署を引き受けてしまうと後々声がかかります。
PTA活動は人間関係も含め大変なことが色々ありましたが、良かったこともあります。
中学の頃は反抗期の息子との会話がなく、何をしているのかもわからない時期でした。
その時に学校で先生や他のお母さんとの会話から、息子の様子を知ることができたり部活の練習風景を見て楽しめた部分もありました。
息子のアレルギーで得られたこと
息子は幼少時、犬に触っても、卵を食べても湿疹がでるアレルギー体質。
小学生になるまで家の冷蔵庫に卵はありませんでした。
成長とともにアレルギーの症状が落ち着き、小学生になる頃には卵が食べられるようになりました。
タイのインターナショナルスクールではおやつの時間にクッキーやカップケーキが出ましたが、卵が食べられない息子は私が作った卵抜きのクッキーやカップケーキを持たせました。
この時に私は卵が入っていないクッキーやケーキの作り方を覚え、手作りすることに抵抗がなくなりましたが、息子は甘いものが大好きになりました。
息子の花粉症をきっかけにハーブを学ぶ
息子の食物アレルギーは成長と共におさまりましたが、花粉症を発症しました。
中学を卒業する頃にひどくなりました。
このままでは勉強に集中できない。かと言って薬に頼りたくないと色々調べました。
そこで見つけたのが、自然療法。
薬で症状を抑えるのではなく、体質を改善して症状を和らげる作戦です。
息子が高3の秋に私もメディカルハーブの資格試験の勉強を始めました。
慣れない横文字のハーブの名前を覚えるのが大変で、受験勉強中の息子と励まし合いながら勉強しました。
私はハーバルセラピストの資格をとりましたが、息子は一浪して大学生になりました。
息子がアレルギーを持っていたことで食べ物や医療について調べて学び、現在でも自然療法について学んでいます。
入口は息子の食物アレルギーですが、今ではアレルギーに関係なく全ての人にとって何を食べるかはとても大事なことだと思っています。
「食べた物で身体は作られる」を知り、その為にどうする?を考えるきっかけになってもらえたらと思います。
私は農薬や化学肥料を使わずに野菜を作るようになりました。全てをまかなう程はできませんが楽しく栽培しています。
最後に子育てのまとめ
行き当たりばったりの子育てでアレルギーに悩んだり、反抗期の息子と真っ向からぶつかったりしましたが、現在は良好な親子関係を築いています。
今は息子とお酒を飲む仲になり「子育て」は卒業。
振り返ってみれば、それほど悩まなくてもよかったとか、こうした方がよかったなど反省点がいろいろありますが、それらを含めて子育てに悩むお母さんのお役に立てればと感じたこと学んだことを書いてます。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。